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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)3730号 判決

原告 株式会社小林商店

被告 ケンリツク極東株式会社

主文

1、原告、被告間の損害賠償請求仲裁手続について、被告が選定すべき仲裁人に

東京都千代田区丸ノ内一丁目一番地鉄鋼ビル四二五号内

弁護士 加嶋五郎

を選定する。

2、原告のその余の請求は棄却する。

3、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、請求の趣旨として、「原、被告間の損害賠償請求仲裁手続について、さきに原告が、選定した東京都中央区築地二丁目三番地、東栄ビル内、日本寒天輸出水産業専務理事篠原正規外一名を仲裁人に選定する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、次のようにのべた。

一、原告と被告は、共に輸出入の業を営むものであるが、被告は、もと、ダグラス・エム・ケンリツク商会(以下ケンリツク商会と称する)と称し、後にその組織を株式会社に変更して、その債権債務をすべて承継したものである。

二、原告とケンリツク商会は、昭和三十年九月十六日東京において、オーストラリア国産海草寒天用原草(グラシラリア)乾燥品に関する継続的売買契約を締結したが、この契約において以後五ケ年間に、ケンリツク商会が、オーストラリアにおいて、採取するグラシラリアは、全部被告が独占して、買取ることとし、同時に、右契約に関して生じた紛争は、両当事者から、それぞれ仲裁人一名を選定して、その仲裁判断に付すべき旨の仲裁条項を定めた。ところが、ケンリツク商会の後身として、この契約を承継した被告が、原告に対して、その後、右契約に定めたとおり、グラシラリアを船積しないので、原告は、昭和三十一年六月五日付内容証明郵便で、被告に対し、その債務不履行を理由として、前記売買契約を解除すると共に、債務不履行に基く損害の賠償を請求した。

三、しかし、被告は右請求に応じないので、原告は前記契約の仲裁条項に則り、このような損害賠償の請求の争いも、右売買契約に関して生じた紛争であるから、当然仲裁判断によつて解決すべきものとして、訴外篠原正規を仲裁人に選定し、昭和三十二年三月十五日付、内容証明郵便をもつて、被告にその旨を通知し、かつ被告においても、同書面到達後、法定の七日の期間内に、仲裁人一名を選定すべき旨を催告し、その郵便はその頃被告に到達したが、被告は仲裁人を選定しないまゝ、右期間を徒過した。よつて、ここに改めて、原告が選定すべきものとして、さきに原告が選定した訴外篠原正規を、被告が選定すべきものとして裁判所が適当と認める者一名を仲裁人に選定することを求める。

四、被告は、本件損害の請求に関する争は、売買契約書(乙第一号証)第十七項(仲裁)に所謂「仲裁判断に付する必要ある場合」に該当しない、また不可抗力に起因するから結局仲裁判断外の事項であると抗争するが、右第十七項に「必要ある場合」とは、その字句の後に続く、「紛争解決のために」との文言から見て、被告主張のように、原、被告間に、具体的権利義務が発生したと否とに、かゝわりなく、要するに、売買契約に関して生じた紛議又は紛争の存する一切の場合を意味するに他ならない。また不可抗力に因るか否かも仲裁判断そのものにおいて判断されるべきであつて、仲裁人選定の訴において判断される事項ではない。しかも、仲裁人選定の訴における審判の対象は、契約における仲裁条項の成否、成立した仲裁条項の現在における存否及び仲裁人選定について民訴七八九条の要件の存否に関する事項であつて当事者間の紛争に関する事項は、仲裁判断の対象たるべきも、この訴における審判の対象にはならない。そして、被告主張の(1) (2) の事項は、ともに、紛争の実体そのものであるけれども、仲裁条項の成否、存続または、民訴七八九条の要件にかかわらないから、被告は本訴において、これらの事項を抗弁として原告の請求を争うことが出来ないのである。

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、答弁として次のとおりのべた。

一、原告主張の第一項ないし第三項の事実は、いづれも認めるけれども、本件損害賠償の請求に関する争は次にのべる理由により、仲裁判断に付すべき事項ではない。すなわち(1) 売買契約書(乙第一号証)の第十七項(仲裁)に「必要ある場合には仲裁判断に付する」旨規定してあるが、右に所謂「必要ある場合」とは仲裁判断を求めるに値する紛議が存し、しかも、これに付て仲裁を求める必要の存することを意味する。もともと、本件売買契約の締結に当つては、グラシラリアの収獲が多分にオーストラリア特有の天候の激変に左右されることの性質上特に当事者間においてこの点を重視し、供給の時期及び数量について、融通性を認め、被告からの電報による積出通知があつて初めて、原、被告間に契約に基く具体的権利義務が発生する旨合意したのであつて、右は、同契約書第五項(数量)に「前略。一ケ年の予定数量は約百五十英屯とし正確な船積数量は各船積に先立つて、積出人が発する電報通知による」と規定してあるのを見ても明である。ところが本件損害賠償の請求は、被告が原告に対して、グラシラリアを船積しないことに起因し、被告が船積の通知を発する以前のことに関するから、原、被告間には、本件売買契約に関して、何ら具体的な権利義務が発生していないことになる。このような紛争は、仲裁判断を求めるに値する紛争であるとはいえないから、かかる紛争あるも右に所謂「必要ある場合」に該当するとはいえない。(2) またかりに原、被告間に何らかの具体的権利義務が発生しているとしても、被告がグラシラリアの船積をしなかつたのは全く予測し難いオーストラリアの天候のために、グラシラリアの栽培に支障を来たしたことに起因するのであるから不可抗力に因るというほかはない。そうだとすれば、契約書第十八項(不可抗力)中の「不可抗力によつて、船積出来ない場合は、被告には責任はない」旨の規定によつて、被告の責任は免除されることになり、かつ同条項には「本条項は他の如何なる条項にも優先する」と定めているから、仲裁判断に関する第十七項にも優先すると解せられるから、不可抗力に基く紛争は、結局仲裁判断外の事項であるというに帰する。いずれにしても、本件損害賠償の請求の争は、仲裁判断に付せられるべきものではない。原告の本訴請求は失当である、

二、もし原告の本訴請求を正当として、裁判所が仲裁人を選定する場合において、裁判所は、原告が既に選定した仲裁人をそのまま、原告側の仲裁人として認め、その選定を怠つた被告側の仲裁人一名を新に選定するに、とどめるのか、あるいは原告の選定した仲裁人に、かかわりなく、改めて原告の主張するとおり当事者双方の選定にかえて仲裁人を選定するのかは、問題であるが、もし第一の方法によるのであれば、ともかく、第二の方法によるとすれば原告が既に選定した篠原正規は次のような理由から不適格である。すなわち、同人は、日本寒天輸出水産業組合専務理事の職にある由で日本産寒天の商品学的知識においては、相当の素養があると想像されるが、本件仲裁判断の主たる眼目は、本件売買契約の解釈と不可抗力および損害賠償責任という法律判断であること明かであるから、むしろ、寒天原草について、特別の専問家といいえないまでも、国際取引上の実務と法律に精通する専問家が仲裁人となることが望ましい。篠原正規は、この点において欠けるところがあるのみならず、同人のような日本産寒天の専問家は、わが国における原草採取の実際に精通するのあまり、これと全く事情を異にするオーストラリアの原草採取の実情に付て何らの予断を抱かずに結論を下すことは、稍々もすれば困難である。

立証として、原告訴訟代理人は、甲第一号証、第二号証を提出し、乙第一号証の成立を認め被告訴訟代理人は乙第一号証を提出し、証人佐伯進の証言を援用し、甲各号証の成立は不知と述べた。

理由

一、昭和三十年九月十六日原告とケンリツク商会(後に改組してその債権債務をすべて被告が承継)との間に原告主張のようなグラシラリアの売買契約が成立したこと、右契約に関して生じた紛争については両当事者からそれぞれ仲裁人一名を選定して、これをその仲裁判断に付すべき旨の仲裁契約が成立したこと、その後被告が契約に定めたとおり、グラシラリアを船積しなかつたので原告が被告に対し昭和三十一年六月五日付内容証明郵便で右売買契約を解除し、債務不履行に因る損害賠償の請求をし、その頃その郵便が被告に到達したこと、被告がこの請求に応じないので原告が仲裁判断によつて解決するため仲裁契約の約旨に従い篠原正規を仲裁人に選定し、昭和三十二年三月十五日付内容証明郵便でその旨を通知し、かつ法定の期間内に、被告においても、仲裁人一名を選定すべき旨を被告に催告し、その頃その郵便が被告に到達したこと、右催告後法定の期間である七日を経過しても、被告において仲裁人を選定しなかつたことはすべて当事者間に争がない。

二、被告は、原告が被告に請求した本件損害賠償に関する争が右仲裁契約による仲裁判断に付せられるべき事項でないと争うので、この点について先ず判断する。

(一)  成立に争のない乙第一号証すなわち原、被告間のグラシラリア売買契約書によればその第十七項(仲裁)に「必要ある場合には双方当事者がそれぞれ一名の仲裁人を日本において選任して紛議の処理に当らせる。」旨の規定があり、これが本件仲裁契約に関する規定であることは原、被告ともに認めて争はないところであるが、証人佐伯進の証言によつても、被告が主張するように、船積通知前の事項に関する紛争がここにいう必要ある場合に該当しないとは認め難いし、他にこれを証すべきなんらの証拠がないばかりでなく、この売買契約中の特定の条項またはこの契約に関する特定の場合についてこの仲裁条項の適用を除外したものと認めるに足るなんらの立証がないから、この語句は格別の意味を持たせてこれを解釈すべきでなく、精々紛議解決のため必要ある場合というぐらいの意味にこれを解する外はない。そうだとすれば、この語句から仲裁条項の適用除外を一般的に結論ずけることは困難である。

(二)  また、前掲乙第一号証によれば、その第十八項(不可抗力)に「本契約中の如何なる条項にかかわらず、若し売主の如何ともすべからざる原因によつて売主が船積を契約した全量を供給することができないときは、船積の欠如は売主に対する如何なる請求権をも発生せしめないし、本契約の他の条項に記載された売主の利益を害するような契約違反とは認められない。」と規定していること明白である。被告は、この規定を引いて売主の不可抗力については仲裁条項の適用が除外されている旨主張するけれども、これをみとめるに足るなんらの証拠がないばかりでなく、この規定は、その文言自体からして、売主の不可抗力により買主の売主に対するいかなる請求権の発生することをも抑止した実体規定であるということができるけれども、不可抗力により生じた事由にもとずく損害の賠償について仲裁条項の適用を除外した手続規定であるとはとうてい認めることができない。

(三) しかのみならず仲裁人選定の訴における審判の対象は、契約における仲裁条項の成否及び存続並びに民訴七八九条所定の仲裁人選定の要件の充足に関する事項であつて、紛争の実体に関する事項は、仲裁判断における審判の対象たるべきも、この訴における審判の対象たりえないものというべく、もし仲裁人選定の訴において損害賠償の争を仲裁判断に附する必要があるか否か、または賠償を求める損害発生の原因事実が不可抗力によるものであるか否かをも判断することを要するものとするときは、本案仲裁判断において審判さるべき紛争の実体たる権利義務の存否の前提たる具体的事実の存否について当然判断することとなり、裁判による煩をさけて私人間の自主的解決にまとうとした仲裁制度の趣旨にもとることとなる。したがつて被告主張の一の(1) (2) はともにこれを採用することができない。

そうだとすれば、本件損害賠償の請求についての争は、原、被告間において、先づ仲裁判断によつて解決すべきものであるといわなければならない。有効に成立したことについて争のない前記仲裁契約に則り、その後、原告が裁判所に仲裁人の選定を求めるに先だち前示のように一連の所定手続を経たことは当事者間に争がないから原告の本訴請求は、この点に関する限り正当である。

三、(一) つぎに原告は被告において、選定すべきであつた仲裁人の選定を求めるとともにあわせて自ら選定した仲裁人篠原正規を裁判所で改めて仲裁人に選定することを求めているが、本訴において、当裁判所は被告が選定すべき仲裁人一名を選定すれば足り、原告が選定すべき仲裁人については、その選定にかかわらず改めて裁判所がその選定をしたり、原告の選定した仲裁人を改めて再び選定したりするを得ないものと考える。蓋し、被告は原告からの仲裁人選定の催告を受けた後、法定の七日の期間の経過と共に、仲裁人選定の権利を喪失したのであるが、これが為に原告が最も適格と信じて選定した仲裁人までも、その地位を失うという不利益を原告が甘受しなければならないいわれは少しも存しないからである。もしこれを甘受すべきものとすれば、当初合意によつて成立した仲裁契約に忠実であつた者がかえつて、相手方の恣意によつて自己の最も信頼する仲裁人の判断を受ける利益を奪われる不合理を生じ、またよし、同じ人が仲裁人の選定をうけるべきものとするも、それまで適法に進展してきた手続を相手方の恣意的な行為によつて失効せしめるべき理由がないからである。若し、原告が選定した仲裁人が不適格であつて民訴七九二条各項に該当する場合には被告において忌避の申立も可能であり、また、仲裁判断そのものの不当に対しては民訴八〇一条の規定による取消の訴による救済の途が残されている。従つて被告は、原告の選定した仲裁人につき不服を主張しえないものというべく、訴外篠原正規が仲裁人として適格であるか否かは、ここに判断の限りではない。

(二) 以上の次第であるから本訴においては原告が選定すべき仲裁人の選定を求める部分は理由なく、棄却すべきであるが、被告が選定すべき仲裁人の選定を求める部分は理由があるから、主文第一項記載の者を適任と認め、これに選定することとする。

四、よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条但書の規定を適用して主文のように判決する。

(裁判官 小川善吉 水沢武人 中川幹郎)

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